「愛」とはなんですか

私のところへ、とある質問(意見)が届けられていました。

男で30年以上生きていますが、未だに「愛」という概念が理解できません。

そもそも「愛」とはなんなのでしょうか?

その説明もなく、他人を愛せとか簡単に言わないでほしいです!

これは、私の書いたとある記事に来ていたコメントなのですが、

まあ、確かに分かりづらいよなぁと思ったので、ここでシェアし、

「愛」についてより深く書けたらなと思います。

ただ、「愛」とは非常に抽象的な概念です。

どんなに偉大な哲学者も、「愛」についての明確な定義を確立させるには至らなかったし、

そもそも「愛とはこういうものだ」と限定する必要もないと思うのです。

だから、この質問をされた30代の男性が愛とは何かわからないのは、

なんら恥ずかしいことではなく、かくいう私自身、

愛の明確な定義について知っているわけではないのです。

しかし、私にも自分なりの”愛に対する考え”を持っていて、

「人を愛するとは、こういうことではないか」という

感覚的な定義はあるので、

今日は、それをあなたにお伝えできればなと思います。

愛とは何なのか

結論から言いましょう。

私が思う「愛」とは、

「存在そのものによって、自分の感情を

プラスに変えてしまう人や物に対する感情」

だと考えています。

簡単にいうと、

その人や物(事)によって、

嬉しい、楽しい、ワクワクする、心がぽかぽかする、美味しいなど、

「プラスの感情」を引き起こす存在へ抱く想いという事です。

  • 「あの子」と一緒に居られると嬉しい
  • 「野良猫」と触れ合うと楽しい
  • 「サッカー」をすると、時間を忘れて没頭してしまう
  • 「ハンバーグ」を食べると幸せ
  • 「〇〇の曲」を聞くと心が洗われる
  • etc

これらは全て「愛」によって起こるものだと私は思います。

私たちは、誰もが愛するものがたくさんあって、

この例で言えば、あの子、野良猫、サッカー、ハンバーグ、〇〇の曲についての

愛があるからこそ、感情がプラスに揺り動かされるのだと思うのです。

(それって「好き」ではあるけど、「愛」ではないんじゃね?と

思われた方もいるかもしれませんが、それは単に言い方の問題だと思うので、

「好き」と「愛」の定義の差はここでは割愛させていただきます)

そして、愛について、もっと厳密に言えば、

愛とは、必ずしも「プラスの感情」を引き起こすものである必要もない、

とさえ私は思っています。

つまり、

嬉しいとか楽しいとかのプラスの感情ではなく、

悲しい、うざい、つまらない、嫌いなどの

”マイナスな感情”であっても、

私たちの感情を変えてしまうものに対しては、

我々人間は、「愛」を持っているということができるのではないでしょうか。

要するに、

私なりの愛の定義により厳密に乗っとるのなら、

「愛」=「自分の感情を変化させる存在に対する感情」

言えるでしょう。

例えば、〇〇さんが嫌い!ということは、

広い意味で考えれば〇〇さんへの愛があるからこそ、

”気にくわないと感じる”のであって、

そこに全くこれっぽっちも愛が存在しなければ、

気にかけることさえしないと私は思うのです。

「愛の反対は無関心」とは、よく言ったもので

関心があるからこそ、私たちはそこに愛を見いだすことができるのです。

というより、私流の解釈では、

「愛」=「関心」と言っても

ほとんど差し支えがないくらいに考えていますし、

「愛する」ということは、

「関心を持つ」こととほぼ同義だと思います。

まあ、愛とは関心である、と

断言してしまうと、微妙なニュアンス等が違ってくるので、

”愛=関心に類する何か”とでも考えていただければいいと思います。

「愛」と聞くと、どこか重たげで

深い定義のように聞こえるかもしれませんが、

少なくとも、私の中では、

愛とは、もっとライトで扱いやすいものであり、

かなり広い意味で愛について捉えているということを

ご理解いただけたらなと思います。

そして、先の質問であった

「他人を愛す」ということは、

私なりの愛の定義に従えば、

「他人に関心を持つ」ことであり、

そんなに深く考える必要はないと思っています。

「他人を心から愛し、自分以上にその人を親身に扱う」と言えば

聞こえはいいですが、現代を生きる我々にとって、

赤の他人を深く愛することなど、そう簡単にできるはずもないのです。

(キリスト教の隣人愛や、博愛主義を否定しているわけではありません。

その思想自体は素晴らしいと思いますし、それを体現している人は素直に尊敬しますが、

少なくとも、私たちの多くにとっては、ハードルが高く、難しい話ではないかと思うのです)

ましてや、キリストが言った

「汝の敵を愛せよ」のような

レベルの”徳”の話になってくると、

おそらく、ほとんどの人にとっては「理想論」でしかないと思います。

(少なくとも、私には次元が高すぎて

「世界平和」とかと何ら変わらない概念のように聞こえます)

そんな聖書や徳の超高い人たちのレベルの話をしているのではなく、

「他人を愛する」とは、

普段、自分にしか向いていない関心の矛先を

少しだけ他人にも向けてあげよう

というだけの話なのです。

ほんの少しだけ他人を気にかけ、関心を寄せる

たったそれだけで十分だと私は思います。

なぜなら、人はみんな

「自分が大好きで仕方がない」のだから。

なんだかんだ言って、私たちは結局、

自分のことしか考えてないし、

常に”自分がどれだけ利益を得るか”が最大の関心となっています。

(少なくとも、多くの人はそうだと思います)

自分がそうなのですから、当然相手も

「自分のことしか考えてない」だろうなと、

お互いが思っているでしょうし、

他人を心から愛すべきだ!などと言っても、

どこか薄っぺらく感じてしまいます。

例えば、ビジネスの場では、

みんなが自分の利益を最大化することを重視し、

基本的に”自分がどうしたいのか”ばかり話しがちです。

そんな中、自分の望みを語ったり、自分の意見を押し付けるのを控え、

「あなたはどうしたいですか?もっとあなたのことを聞かせてください!」

と、相手に立場に関心を寄せるだけで、相手の心をグッと掴むことができるでしょう。

電車の中でも、

お年寄りや妊婦さんに席を譲ろうとするのは、ほとんど外国人で、

大抵の日本人は、スマホの画面に夢中になっているか、

気づかないふりをして過ごすかのいずれかです。

(人に対してもう少しだけ関心があれば

「席譲りましょうか?」と優しく声をかけることくらい、

誰にでもできるはずなのに)

そんな社会だからこそ、

自分のことに加えて、他人のことも気にかける意識さえあれば、

私たちは、今よりずっと生きやすくなるのではないでしょうか。

あなたが「愛」をどう捉え、

他人を愛するということが、何を意味するのか

私にはわかりませんが、

まず”相手に関心を寄せてみる”ことが、

他人を愛するきっかけになるのではないでしょうか。

追伸1:

愛とは、自分の感情を変える(生の感情か負の感情かは問わない)

存在に対する感情と言いましたが、

それに準ずれば、他人を愛するということは、

他人に敵意や憎悪を向けることも含まれるのではないか、

と思われた人もいるかと思います。

私なりの答えとしては、まあそれでもいいかと思います。

ただ、1つだけ注意していただきたいのは、

「自分が向けた愛は、相手から必ず返ってくる」という

普遍の原理があり、

相手にいくら嫌われても大丈夫で、

その結果被る被害の責任を全て自分で負うのなら、

思う存分嫌ったらいいと思います。

加えて言えば、相手を嫌うことで初めて見えてくる問題や視点が

少なからずあると私は思いますし、相手に自分の思いをぶつけることで

解決するものも中にはあると思います。

だから、一概に他人を嫌うことがダメだとは思いませんし、

少なくとも、他人に全く関心を持たず、

自分の感情を押し殺して生きるよりは、

(良くも悪くも)何かしらが変わるきっかけになり得ると思うのです。

(関心がなければ、何も始まりませんからね)

愛とはお互いを見つめ合うことではなく、

共に同じ方向を見つめることである。

サン=テグジュペリ(フランスの小説家)

愛する範囲を広げよう

人を愛するということは、

他人に対して関心を持ち、相手の立場に立つことだと、

言ってきました。

「言われて簡単にできるくらいなら、もうすでにやってるけど」

そう思われた方もいるかもしれませんが、

私たちの多くは、昔から同じことをすでにやってきています。

あなたが自分のことと同じくらい関心を寄せ、

時には、自分自身以上に大切に思える存在。。。

そう、それは「家族」です。

あるいは「友人」だったりするかもしれません。

いずれにしろ、私たちは日頃から

ある程度は、家族や友人に関心を寄せ、

思いやりながら生きてきたと思います。

そして、それは決して

「家族(友達)だから」という

形式的な理由のみによるものでもないと思うのです。

ただ、家族であるから、友人だからという理由で

相手を思いやり、相手の立場で物事を考えることができるのなら、

絶縁、絶交などという言葉はこの世に存在しないはずですし、

毎年、あれほど多くの夫婦が離婚だ訴訟だと騒ぎ立てることもないでしょう。

そもそも、夫婦も親友も皆、最初は赤の他人だったのです。

つまり、出会った当初は、今ほどその人に対して、

関心も思いやりも持っていなかったのです。

すなわち、私たちは誰もが、

自分とはなんの縁もゆかりもなかった人たちと

愛を深め、お互いに思いやれる関係を築いてきたということです。

そして、私たちが幸福な人生を送る上で、

最も重要なのが、

相手に関心を寄せ、思いやる相手の範囲を

徐々に広げていくことだと私は思います。

簡潔に言えば、

「愛する人や物の範囲を広げていく」ということです。

身近な例を出して話しましょう。

私たちは、犬や猫をペットとして、

自分の家族のように可愛がり、大切に扱います。

ペットと戯れるだけで癒されたり、幸福を感じたりしますし、

ペットが死んでしまえば、心にぽっかり穴が空いたような悲しみを感じるでしょう。

その一方で、私たちは平気で虫を殺したり、

スーパーで買った食材(動物の命)を

当たり前のように、残したり、捨てたりします。

そこに、一切の罪悪感はなく、私たちは平然と命の価値に差をつけ、

愛すべき命とそうでない命を決めているのです。

別にそれがいいとか悪いとかの話ではなく、

(まあ、すべての生命を大切に扱うのが理想かもしれませんが)

私が言いたいのは、我々人間は、生きていれば必ず

「愛する範囲」を自分の中で設けているということです。

別の例でいうと、

少し前にネットで話題になった

「ただし、イケメンに限る」などもその最たるものでしょう。

全く同じことをしていても、

自分にとって関心の高い人(イケメン)と、

関心の低い人(ブサイク)では、

受け取り方が全然違ってくるということです。

自分>家族>友人>知り合い>他人>その他の生物>物

というふうに、人は世界に愛する順位を決めて、

(当然、人によって順位は異なります)

その愛する順位が高い人や物ほど

関心を寄せ、大切に扱う意識があるのですが、

順位が低い人や物に対しては、ひどく冷たい生き物です。

もちろん、すべての人や物を平等に愛することなど不可能に近いし、

人が愛する順位を定め、その愛の範囲の中で相手を思いやりながら生きるのは、

なんらおかしいことではありません。

しかし、あまりにも多くの人が、

その「愛の範囲」を自ら狭め、

他人とは関わらないように、

まるで何事にも興味がないかのように

生きてしまっていることもまた事実です。

自分や自分の愛する人以外、どうでもいいとさえ感じ、

生活自体は、何事もなく送ることができるけど、

どこか不安や虚無感でいっぱいの人生。

そんな人生を生きている人が、なんと多いことでしょうか。

忙しい日常の中で、

何事にも関心が持てなくなる気持ちもわからなくはないですが、

極端に、自分の愛する範囲を狭めたままだと、非常に生きづらいでしょうし、

幸福な人生を歩みにくいと思うのです。

(事実、愛する範囲を狭め、自分の殻に閉じこもった人ほど、悩みや不安が多いものです)

そして、そのためには少しずつでも

自分の関心を持つ人やもの、大切に思える人や物の数を増やしていくこと

何より大切ではないかと私は思います。

別にこれは、人類全てを愛そう!とか、生物みんな平等に扱おう!と、

言っているわけではなく、自分にできる範囲で、

少しずつ愛する対象を増やしてみてはいかがだろうかと、言いたいのです。

少なく見積もっても、

何かに関心を寄せ、愛することで

次の2つのメリットがあると思います。

  1. 与えた愛が返ってくる
  2. 愛する(相手が喜ぶ)こと自体に、幸福を感じる

1 与えた愛が返ってくる

この世には「返報性の原理」と呼ばれ、

”自分が世界に与えたものが、この世界から返ってくる”という、

絶対不変の原理が存在します。

だから「あなたがやられて嬉しいことは、率先して人にしてあげなさい」という、

小さい頃の母の教えは、至極正しいものであり、

あなたが与えたものがそっくりそのまま返ってくるようにこの世界はできているのです。

もちろん、マイナスなものを与えれば、それもそっくりそのまま返ってきます。

(世間一般では、それを「バチが当たった」などと言ったりします)

であるからして、

私はよく「愛されたいなら、まず自分が愛しなさい」と言いますし、

大切に扱われたいなら、自らが率先して相手を大切に扱うことが重要なのです。

「いやいや、そんなの綺麗事でしょ」と思うのなら、

想像してみてください。

いつも自分のことを気にかけ、

思いやりや優しさを持って接してくれる存在と、

そうではない存在。

どちらをより「好きになる」でしょうか。

そして、あなたがこの至極単純な原理を

まだ、心から理解できていないのだとすれば、

それは、あなたが自分の人生の中で

「与えること」を怠ってきたという何よりの証拠ではないでしょうか。

より正確に言えば、

自分が誰に対しても、何に対しても

「無関心」を与えてきたからこそ、

誰からも関心を得られず、空虚で寂しい人生になってしまうのです。

まあ、そんな人生でもいいと、あなたがおっしゃるのなら、

それも一向に構わないと思いますが、少なくとも私は

人を愛し、愛される人生の方がいいと、思いますし、

そうありたいと思っています。

私たちは、人生に対して”与えた分しか”返ってこないのです。

2 愛する(相手が喜ぶ)こと自体に幸福を感じる

もう1つ、何かを愛することによるメリットは、

「相手を愛する(喜ばせる)ことそれ自体に幸福を感じる」ということです。

これは、あなたの人生においても必ず経験していると思います。

例えば、電車で席を譲ってあげたり、誰かに鉛筆を貸してあげた時、

たとえ、その行為によって自分が何もメリットをもらえなかったとしても

どこか清々しい気持ちになったり、充実した気分になるものです。

(加えて、お礼を言ってもらえたりしたら、かなりの幸福を感じることでしょう)

少し難しい言葉を使えば、私たち人間は誰かを思いやったり、

親切にしたりすることで”セルフイメージ”が上がり、

それだけで瞬間的な充実感を感じることができるのです。

だから、あなたが誰かに率先して「与えてみた」結果、

何も返ってこなかったとしても、

あなたは精神的な幸福を得ることができるので、

与えられるものは、積極的に与えていくべきだと私は思います。

(そもそも「何も返ってこない」などということは、

返報性の原理によりあり得ないのですが)

逆に言えば、ほとんどの人は、

自分が受け取ることばかりに気を取られ

何も与えようとしないからこそ、

人生は何も変わらないし、幸福にもなれないのです。

あくまで、何かを受け取るときに得る”幸福感”は、

一時的に欲望を満たした際の満足に過ぎず、

真の幸福は、自らが与えることで手にできるものだからです。

これは、歴史を見ても明らかで、

本当に幸せな人生を送る人と、

”幸せそうに見えるけど”実は幸福ではない人

違いはここにあるのです。

相手を愛し、何かを与えるときに感じる

安らぎと充実感こそが、あなたの人生の幸福度をあげ、

「人生とは」「愛とは」という抽象的な悟りを感じる、

いちばんのカギだと私は信じています。

まずは、自分にできる範囲、目に見える範囲で構いません。

小さなことから関心を寄せていき、あなたの愛の範囲を拡大し、

愛することの実感を得ることから始めてみてはいかがでしょうか。

追伸2:

もちろん、本来は、与えることに

何かしらのメリットや見返りを期待するべきではなく、

”ただ与える”ことができれば、それに越したことはないと思います。

(もし、あなたがその境地に至ることができれば、

人生はどうやっても豊かになってしまうでしょう)

でも、人は往々にして「利己的」な生き物であるし、

自分のことしか考えていないからこそ、

自分が何かもらった際には、「何か返さなくちゃ!」と思うのが人の性です。

なので、まずは意図的に

相手に関心を持つこと、自ら率先して与えることを、

実践してみることをオススメします。

「あの人は、いつも何を考えて、何を欲してるのだろうか」

そんなふうに、相手の立場に立ち、相手が関心を持っている対象、

相手が喜びそうなことを考えてみるのです。

少なくとも、何事にも興味を持とうとせず、

常に無関心でいるよりは、

人を愛し、人に愛される人生に近づくのではないかなと、私は思います。

世界平和のためにできることですか?

家に帰って家族を愛してあげてください。

マザー・テレサ

最後に

いかがでしたか。

「愛とは何か」、「人を愛するとはどういうことか」

なんとなく分かった気がしてきましたか?

先にも言いましたが、愛とはあまりに抽象的な概念であり、

私もあなたも、愛について完璧に理解することは、一生不可能でしょう。

でも、私たちは、愛について、

自分なりの理解を少しずつ深めていくことはできますし、

誰かを愛したり、その愛する人や物の範囲を広げていくこともできます。

そして、確実に確かなことは、

私たち人間は、愛がなければ生きることはできないと思いますし、

たとえできたとしても、すごく空虚でむなしい人生になってしまうと思います。

「いい歳こいて、愛とかwしょーもなw」

そう思う人もいるかもしれませんが、

やはり「愛」こそが、人生の本質にあると私は信じてますし、

誰かを心から愛することは素晴らしいことだと思います。

そのための貴重な一歩として、

何事にも関心を持ち、相手の立場でものを考える癖を

つけていただければなと思います。

それでは、あなたが愛に溢れる人生を生きる、

何かしらのきっかけになれば幸いです。

最後までお読み頂きありがとうございました。

最高の愛とは、魂を目覚めさせるようなもの。

ニコラス・スパークス(アメリカの作家)

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