スティーブ・ジョブズからのメッセージ!もし今日が人生最後の日だとしたら…

まずは、こちらをご覧ください。

アップル社を始めとして、多くの世界的企業をいくつも創り上げた伝説の起業家、スティーブ・ジョブズ。

そんな彼が語ったとあるスピーチには、人生において最も重要な思考や知恵が数多く内包され、今を生きる我々に貴重な気づきや思考を与えてくれます。

今回は、そのスティーブ・ジョブズのスピーチから「人生の本質」を学び、私たちの人生をより豊かにする秘訣を学んでいこうと思います。

それでは、以下がジョブズのスピーチのテキスト(動画とは多少異なる点があるかもしれません)になります。

スティーブ・ジョブズが学生たちに贈ったメッセージ

(スティーブ・ジョブズの写真、引用:Wikipedia

人生とは、今この瞬間の積み重ねである

世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。

これはスティーブ・ジョブズがアメリカのスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチで、多くの学生の心に残る伝説のスピーチとなりました。

まずは、点と点をつなげる、ということです。

私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。

私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

ジョブズを始め、世界的な偉人の中には大学を卒業していないという人も少なくありません。高校すらまともに出ていないという場合もあるくらいです。

エジソンはたった3か月しか小学校に通わず、正規の教育はほとんど受けていないに等しいですし、日本で言えば今話題のホリエモンなども東大を中退しています。

にもかかわらず、彼らは非凡な業績を残しています。

そして、ジョブズもその一人だったのです。

ジョブズは、自身の大学生活について”大勢の大学生の前で”こう振り返っています。

そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。

大学に行く理由とは何でしょうか。

もちろん、大学は教育の場なので、その目的は「学問を学ぶこと」だと思います。

しかし、最近はほとんどの生徒が、ただ単位を取るためだけに大学に行き、何百万も払って「大卒」という資格を得るための場と化しているように思います。

その理由の一部に「大学で学んだことの多くが社会に出ても役立たない」という事実が、学生の学問に対する意欲とやる気を奪っているのではないでしょうか。

とあるアメリカの研究によると、学生時代に優秀な成績を収めたもの(首席で卒業する生徒たち)は、社会に出てからそこまで非凡な結果を残すことができないというデータがあるほどです。

そこそこの成績は残せますが、テストでいい点を取ることに特化してきた生徒では、その分野の概念を根本的に覆すような目覚ましい活躍は難しいのかもしれません。

「いや、そんなのその人次第だろ!」

勿論そうなのですが、必ずしも大学を卒業することだけが正解ではないということだけは頭の片隅に入れてほしいと思うのです。

私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。

多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。

ジョブズは大学を中退した後のことをこう語っています。

確かに彼は学歴を失い、将来の安定した道をあえて捨てました。

ですが、ジョブズは自由と夢の人生を歩み始めたのです。

とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

住む場所も食べるものも、ままならない状態でさえ、ジョブズは楽しく心躍る自分の人生を歩んでいたといいます。

そして、ジョブズが自分の感性に従って潜り込んだ授業で得た知識が、後に思わぬ形で役立つことになりました。

(これが、ただ何となく単位を取るためだけに受けた授業であれば、おそらくこうはならなかったと思います)

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。

もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

言うまでもなく、人生とは「今」という一瞬一瞬の積み重ねです

今までもこれからも人生を創り上げてきたのは(そして今後の人生を創り上げていくのは)、紛れもなく”今この瞬間”のあなたの行動と選択です。

ジョブズの言う通り、われわれは過去を変えることも未来を知ることもできません。

できるのは、今この瞬間を生きることだけです。

あなたの「今」を将来のあなたにとって価値あるものにするか否かは、この瞬間におけるあなた自身の行動と選択にかかっているのです。

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。

だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。

運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。

むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

人生とは、選択の連続です。

意識的か無意識かは問わないとしても、一瞬一瞬においてあなたは自らの行動を選択し、その一つ一つの選択がこれまでの人生を創造してきたのです。

(そして、それはこれからも一生変わることはありません)

今、ベストな選択をし、将来の自分と現在の自分の点と点とを結び合わせる方法は、

「常に自らの選択に責任を持つ」ということです。

意識的な行為にしろ、無意識的な習慣にしろ、その一つ一つの行動を選択し、実行してきたのは他でもないあなた自身なのです。

まずは、その一つ一つの選択に対して自ら責任を負い、なんとなく無意識で行っていた選択や行動を自分自身の意識下に置いてください。

そうすることでこそはじめて、その一つ一つの選択と行動をより洗練されたものにすることができるのです。

失敗や困難は”偉大な教師”だ

2つ目の話は愛と敗北です。

私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。

まず第一にお伝えしたいことは、世界一の起業家と謳われたスティーブ・ジョブズも最初は、小さなガレージでアップルを起こしたということです。

聡明なあなたなら今さら言うまでもないことでしょうが、どんな偉業であれ最初はたった一つの小さな挑戦から始まります。

小さな一歩一歩を重ね続けることこそが、偉大さに到達する唯一の方法なのです。

ジョブズの起業家人生は、一見順調に進んでいるように見えました。

ただ、人生において最も重大な困難たちは、たいてい影を潜めてやってきます。ジョブズの場合、それは「アップル社を追放される」という形で現れました。

実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。

私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当にしんどい出来事でした。

自らの意思に従い、自分の人生を歩む人間は、遅かれ早かれ「困難」に遭遇します。

自分の選択に責任を持ち、自らの道を歩むということは、そういうことだからです。

楽な道、他人に敷かれたレールばかり好んで歩む人には、困難や逆境は決して訪れないでしょう。彼らの人生には、失敗も困難もありませんが、成長も変化の可能性も同時に捨てているのです。

1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。

しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。

人生で起こりうるすべての失敗は、あくまで”一時的な失敗”に過ぎません。いかなる絶望も次の希望が訪れる予兆でしかないのです。

もし仮に、そのたった一度の失敗や逆境が永遠の絶望に変わるとしたら、それはあなた自身が「失敗から起き上がることをやめた」ときだけではないでしょうか。

言い換えれば、あなたが失敗を絶望的なものだと認識し、絶望に心を捧げない限り、いかなる失敗も新たな挑戦のチャンスでしかないのです。

そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。

将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

ジョブズは、自分が立ち上げた会社から追放されるという大きな絶望を”人生で最も幸運な出来事”だと言っています。

ジョブズは、この大きな失敗を”新たな自由とチャンス”だと考えたのです。

その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。

そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

これもすべて、ジョブズが絶望の中で希望を失わず、困難の中に機会(チャンス)を見出したからこそです。

いいですか?

あなたの目の前の現実がすべてではありません。重要なのは、目の前の現実に対し”あなたがどういう反応をしたか”なのです。

われわれは、過去を変える力はありませんが、過去にどう意味付けをし、どのように反応するかは自由です。

(ジョブズが、アップルからの追放を”新たな挑戦への自由”ではなく、”永遠の絶望”として捉えていたら、おそらく今のアップル社はなかったと思います)

アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。

非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。

皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。

やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。

そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。

好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。

だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。

人生は、選択の連続であり、われわれは「今」を生きることしかできません。ゆえに、その地点においては”誰がどう見てもマイナスにしか見えない出来事”が起こることもあるでしょう。

ただ、その出来事に対して、どう反応して、どういう選択をとるかはあなた次第なのです。

極端な話を言えば、誰が見ても超絶ハッピーな出来事に対して”不幸な反応”を選択し、ネガティブな感情を引き出してしまう人さえいるかもしれません。

(反対に、一般的には絶望としか言えないような出来事に対しても、その人の反応と選択次第では、そこに”幸福”を見出し、ハッピーに生きることもできるわけです)

そして、一時的にはどんなに不幸な出来事に見えても、そこから新たなチャンスと可能性を見つけ、”人生という長いスパン”においては非常に意味ある出来事に変えるためには、

「信念」が必要だとジョブズは言います。

自分の中に確固たる信念がある人は、一時的な敗北や失敗は、あくまで未来の大きな飛躍への助走にすぎないことを知っています。だからこそ、多少の困難や失敗などものともせずに突き進むことができるのでしょう。

「人生におけるすべての困難には、それと同等、もしくはそれ以上のチャンスの種が含まれている」

このことを肝に銘じて、勇気ある一歩をふみ出して欲しいと思います。

いつだって、素晴らしいことを成し遂げる人間は、現状に甘んじることなく常に挑戦者であろうとする者だけです。

もし今日が人生最後の日だとしたら...

3つ目の話は死についてです。

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。

「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

「もし今日が人生最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」

ジョブズは、毎朝自分自身にこう問いかけるといいます。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

言うまでもなく、人は皆死にます。人生とは、永遠ではなく限りあるものなのです。

しかし、ほとんどの人は、自分はいずれ死ぬということを”知識的には”知っていたとしても、まるで「永遠の命」があるかのように振舞い、あまりにも多くの時間を浪費しています。

「知る」だけでは不十分です。どんな知恵や知識も「理解」に到達し、「行動」に反映させなければならないからです。

ジョブズは、自らの死を明確に意識し「自分は間もなく死ぬんだ」ということを理解したエピソードをこう語っています。

1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもって言えます。

人というのは、非常に愚かな生き物で、その身を持って体験してはじめて理解し、行動に移します。(人によっては、一度痛い目見てもまた同じ過ちを繰り返してしまうケースもあるくらいです)

突然の「余命半年宣言」。

ジョブズは、その時人生で初めて「死」について考え、「死」と真剣に向き合ったのです。

その結果、「生きること」へより一層感謝し、「もし今日が人生最後の日だとしたら・・・」という問いを毎日自分の頭に浮かべながら、今この瞬間を全力で生きるようになったのだと思います。

「私はまだ若いし、十分に時間があるはず」

いいえ、それは誰にも分かりません。

確かなのは、「明日が確実に来る」と言い切れる人物は、世界中探しても一人として存在しないということだけです。予想外の事故や病気で私たちは明日この世を去ることになる可能性も決してゼロではないのです。

そもそも、「まだ時間がある」と考えて生きていると、人生は一瞬で過ぎ去り、あっという間に”十分にあったはずの時間”は消え去ってしまいます。

(私は、そうやって”できたはずのこと、ムダにしてしまった膨大な時間”を悔やみながら死んでいった人たちを大勢知っています)

誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。

死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

とはいえ、死を恐れる必要は全くありません。

「死」があるこそ「生」は輝き、人生は美しいものになるのです。

(人は古来より、不老不死、永遠の命なるものを追い求めてきましたが、人生が永遠になってしまったら、われわれに待ち受ける未来は「不幸」以外の何物でもないと思います)

あなた方の時間は限られています。

だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。

それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。

そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

あまりに多くの人が、自分の内なる声を押し殺し、重要ではないことに時間を浪費しいるように思います。「人生を変えたい!」と言いながら、周囲の意見に合わせ、自分の枠から出る勇気も覚悟も持ち合わせていないのです。

自分の心と向き合い、内なる声と対話する唯一の方法は、静寂と落ち着きを取り戻すことだと私は思います。

焦りや周囲の声の一切をかき消して、自らの心としっかり向き合うのです。

「他人の人生」ではなく「自分の人生」を創造し、自らの道を歩む勇気を持つのです。

困難なことなど何もありません。

あなたは、ただ自分の心に耳を傾け、あなたの本心に素直になるだけでいいのです。

(残念な話ですが、ほとんどの人は「自分と対話する時間」を設けようとすらせず、自らを欺き続ける一生を送ってしまうのです)

私が若いころ、全地球カタログというすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。1970年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

無気力で退屈な毎日をただ消費するのが人生ではありません。

人生とは冒険です。あなたの毎日はもっと刺激的でワクワクしたものであるべきなのです。

「人生はこんなもん」

そう自分に無理やり言いきかせながら、流されるような日々に終止符を打ちましょう。あなたがどう考えていようとも、そういう人生を選択し、作り上げてきたのは他でもないあなた自身です。

つまり逆に言えば、もっとクリエイティブでエネルギッシュな人生を創造していくことも、今後のあなたの行動と選択次第では十分に可能だということです

人生とは、今この瞬間のことです。

あなたの人生の主導権は、いつだってあなたの手の中にあるのです。

ほとんどの人が気づいていないだけで、私たちはいつでも「新たな一歩をふみ出し、自分の人生を歩み始めることができる」のです。

私は、常にチャレンジャーとして自らの足で歩んでいきたいと思っていますし、あなたにもそういう人生を送ってほしいと思います。

きっとスティーブ・ジョブズもそういうことが言いたかったのではないでしょうか。

それでは、最後にジョブズがスピーチの最後に卒業していく学生たちに贈った有名なこの言葉で締めくくろうかかと思います。

ハングリーであれ。愚か者であれ。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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