情報弱者の本質!自分は「情弱ではない」と思い込んでいませんか?

インターネットの普及により、情報が溢れるこの時代、

”情報を自分なりに整理し、限られた情報をいかに使いこなせるか”

重要になってきていることは間違い無いと思います。

そして、この情報過多の時代に伴い情報弱者、いわゆる「情弱」と呼ばれる

”最新の情報に疎い人”を表す言葉も出てきました。

ただ、情報弱者とは、何も「情報や流行りに疎い人」のことばかりを指すものでは無いと私は考えます。

仮に情報弱者が、ただ単に情報が足りていない状態だとすれば、

意識的にアンテナをはり、情報を取り入れる努力と、

それを整理して使いこなす努力さえすればなんら問題ないことになります。

しかし、今の情報化社会において、情報弱者の本質と根本的な問題点は

「知識量(情報)の多さ」とは、あまり関係がなく、

本質的に言えば多くの人は”情弱”であると言えるのです。

運がいい人も、運が悪い人もいない。

運がいいと思う人と、運が悪いと思う人がいるだけだ。

中谷彰宏(日本の作家)

情報弱者の本当の意味

私は情報弱者とは、

一言で言えば

「自分の軸を持たない人」と言えると思います。


つまり、自分の中に確固たる判断基準がないからこそ、

情報の渦に飲まれ、自分を見失ってしまいます。

情報を取捨選択することができず、

Aさんの意見を聞けば、それが真実だと思い込んだかと思えば、

すぐさまBさんの意見に共感して、

「Aの言っていることはおかしい!」などと平気で思ってしまうのが、

情報弱者の特徴です。

つまり、自分の意見がなく、

コロコロと意見を変えて、簡単に他人に流されてしまいます。

自分の軸や信念なるものがないのですから、

当然彼らの人生は、流されるままになんとなく消費されます

自分の人生に漠然とした不安を覚え、「このままでいいのか」と悩む彼らは

「〇〇したら人生変わるよ!」とか「今この方法がアツいから簡単に稼げるよ!」といった

”一見良さそうな意見やノウハウ”に飛びついたはいいものの

いざ始めてみると「本当にこの道でいいのか」「もっといい方法があるのではないか」と考えてしまい、

他の誰かが「〇〇はもう時代遅れ!次はこの方法がオススメ!」と言えば、コロッと鞍替えするという…

いつまでたっても、他人の評価や意見にすがり、

あの人が言えばあーする、この人が言えばこーするという状態です。


分かりやすい例で言えば

「あの人が言うから、〇〇に決まっている!」

「この意見は間違ってる。だって、みんなが言ってたから」

と言ったような特定の人物の意見を絶対視する”信者”や

世間の多くが真実だと思い込んでしまう”大衆”です。

彼らは自分の軸がないどころか、他人の考えを自分の判断基準としているわけですから、

まさに他人に影響される人生であり、他人のための人生です。

ただ、他人の意見や評価に影響されるというのは、人間誰しもが少なからずある部分で、

完全に情報弱者から抜け出した人や情報弱者の要素がゼロの人は、いないと思います。

私たちはみな、情報弱者の素質を持ち合わせており、

どんなに優秀な人でも情報弱者になり得るのです。

しかし、可能な限り情弱を脱し、明確な自分の軸を作り上げることはできますし、

そうあろうと努めることも可能です。

自分の軸を持たないことの何が原因なんだ!と思われるかもしれませんが、

自分の軸がない、つまり、自分がないわけですから、

そういう人は、人間関係においても、ビジネスにおいても、人生においても

魅力的な人間にはなれず、そこそこの人間関係、そこそこの成功、そこそこの人生を送ることになりかねません。

「私はそこそこの人生で大丈夫です」と思われるなら話は別ですが、

流されるままに人生をあっという間に消費し、

「自分の人生こんなもんかな」と自分を正当化させながら生きていく人生は絶対嫌だという人は、

自分がいかに情弱であるか、そして情弱を脱するにはどうすればいいかを考えてください。

情弱を脱して、自分の確固たる軸や信念に沿って生きることができるようになれば、

  • 「私はこれを実現するために生まれてきた」と思えるような”使命”に目覚める
  • 表面的な快楽や利益に惑わされず、自分の大切なことを優先できるようになる

というような、人生やビジネス、人間関係その他諸々に対する

明確な軸・判断基準ができます。

簡単に言えば「自分の人生」を歩み始めるのです。

「やるべきこと・やりたいこと=自分の軸」が分かり、

「それ以外=やるべきではないこと・優先すべきでないこと」という

超シンプルな物の見方・判断基準ができるので、

他人の意見に惑わされることなく、我が道を進めます。

例えば、

何かを新しく始める際に「もし失敗したらどうしよう」とか、「もっといい方法があるのではないか」と悩むこともなくなりますし、

うまい儲け話などに乗ってしまうことや、そういう楽していい思いをしている人を見て羨ましがることもなくなるでしょう。

情報弱者を脱し、自分の人生を歩み始めることができれば、

確かな充実感と幸福感を持って”人生で本当に優先すべきこと”に集中できます。

そして、”人生で本当に優先すべきことに集中している”という実感こそが、

あなたの将来への不安を消し去り、自信を持って堂々と毎日を謳歌できるのです。

つまり、情報弱者であるということの本当の意味は、

  • 失敗を恐れて、挑戦できない
  • 何事も続かない
  • 常に不安や悩みに襲われている
  • やりたいことが分からない
  • 毎日がなぜか無気力で空虚だと感じる
  • etc

というような、私たちの多くが抱えている悩みの

根本的な原因の一つでもあります。

情報弱者であるということは、

自分の軸がないからこそ、日々の選択と行動が全て”受け身”なものとなり、

自発的に自分の人生を創造していくプロセスがないのです。

逆に言えば、

情報弱者を脱し、自分の確固たる軸・判断基準なるものを作り上げてこそ、

あなたは自分の人生を初めて自分の足で歩き始め、

人生を意味あるものにしていくことができるのです。

木を切り倒すのに8時間与えられたら、

私は最初の6時間を斧を研ぐのに費やす。

エイブラハム・リンカーン

(アメリカ合衆国16代大統領)

情報弱者を脱するためには

では、一体どうすれば情弱を脱し、「自分の人生」を生きられるようになるのでしょうか。

自分の確固たる軸を築き、己の人生の一つ一つ選択と行動を自分自身の意志で行うのは、

決して簡単なことではないですが、情報弱者を脱する大まかな方向性と指針は提示できます。

  1. 「知識」を得る
  2. 自分の中に落とし込む

情報弱者を脱するために、あなたに行っていただきたいのはこの2つです。

「?」という状態かもしれませんが、一つずつ見ていきましょう。

(逆にこの段階で「ああ、そう言うことか!」と思った方は、かなり情弱を脱してきている状態だと思います)

「知識」を得る

情報弱者とは、本質的には「情報が不足している」ことではないのですが、

(先にも述べた通り、自分の意見がなく、簡単に他人に流されてしまう人生が問題)

情報、すなわち”知識”が不足していることはあなたを情弱足らしめる根本的な原因の一つです。

なぜなら、知識がないということは、選択肢がないということだからです。

私たちは自分の住んでいる(知っている)世界が、

小さな世界であればあるほど、情報が限られれば限られるほど

当然ですが、自分の軸を確立するのは難しくなります。

「やりたいことがない」という人に限って、

ほとんど何もやろうとしませんし、経験していません。

あくまで、”自分が今までやってきたこと・経験してきたこと”にやりたいことがなかっただけだということを理解していないのです。

だから、まずは色々なものを見ましょう。

様々なことを体験しましょう。

1個のヒントだけで正解にたどり着くのと、

ヒントが100個ある状態で正解にたどり着くこと、

どちらが容易で確率が高いかは言うまでもありませんね。

そして、ここでいう知識とは、

情報は勿論、知恵や思考、その他あらゆる経験の”蓄積”を指し、

知識(情報)が不足しているとは、あらゆる意味での”人生経験の浅さ”を意味します。

  • 物事を情報知識として知らない
  • 知ってはいても、本質的な理解に及ばず”表面的な情報”を持っているだけの状態
  • 同じような毎日を過ごし、日々の新たな経験があまり無い
  • 経験した事象に対して、思考停止して何も学ぼうとしない

これらの状態は、全て”知識がない状態、あるいは知識が蓄積されない状態”ですので、

このような人は、情報弱者に陥りやすい傾向にあると言えます。

逆に言えば

  • あらゆる情報や知識を貪欲に取り入れようとする
  • ただ知識を頭に入れるだけでなく、物事について深く考え、本質的な理解を試みる
  • 日々新しいことに挑戦し、多くの経験をする
  • その起こる経験すべてに意味を見出し、成長する意欲がある

このような人は、情弱を脱し、自分の人生を歩む可能性がグッと高まります。

「それができたら苦労しねーよ」と思われるかもしれませんが、

これらはまず意識の問題で大きく変わります。

あなたが日々触れる情報や経験に対して、どういう視点を持つか

それが情弱を脱し、人生をより良くする秘訣の一つと言えるでしょう。

自分の中に落とし込む

闇雲に知識を集めても、それを自分の人生に活かすことができなければ、その知識は有効なものとは言えません。

あらゆる知識や経験は、あなたの中にきちんと落とし込み、あなた自身の血肉となってはじめて意味があるのです。

あなたが見かけた知識(情報)一つ一つに対して

自分なりに解釈し、自分の言葉で誰かに説明できる

そんな状態こそ、あなたはその知識を”得た”と言えるのです。

例えば、あなたが「やる気が出ない」と悩み、

「やる気なんて、あくまで”気”であり、科学的には存在しないという研究」

を知ったとします。

(事実、そういう研究はあります)

「へー、そうなんだ」で終わっては意味がなく、

「やる気とは一体何なのか」

「では、やる気を出す(ことによって行動する)ために、どうすればいいのか」

そのような問いかけに対し、

きちんと腑に落ちるところまで思考し、

自分なりの「答え」を模索していくプロセスが

本当の意味での「知の習得」にとって重要なのです。

どういう問いかけをするのか、

導き出した答えが正しいか正しくないかなどは、

はっきり言ってどうでもいいのです。

物事を捉える視点や価値観、思考の癖は人それぞれであり、

「自分の軸」もまた、一人一人違ったものであるはずだからです。

あなたが得た知識に対して、思考を深め、理解を深め、

自分なりの解釈とともに、自分の中に落とし込んでいく

この知識に対する思考や理解のプロセス一つ一つが、

あなたの人生に確固たる”軸”を作り上げるのです。

この世界のどんな些細な情報

人生で起こり得るすべての経験

これらは、あなたの”軸”を作り、自分の人生を歩み始める重要な素材となります。

というのも、

思考を深め、理解を深め、自分の中に落とし込む、ということは、

”本質を理解する”ということに他ならないからです。

ある知識に対して、「この概念はそもそもどういう意味なのか」深く考え、自分の中に落とし込んでいく…

そんな作業を何回も何回も行うことで、あなたは物事の本質に近づきます。

一つのテーマや概念について、深く深く思考してもいいですし、

複数のテーマについて思考し、理解し、それらのテーマから抽出された共通項を見出してもいいでしょう。

いずれにしても、その作業の一つ一つが物事の本質を追求し、

知識や思考がチャンクアップ(抽象化)していくはずですから。

その一つ一つの本質(に見えるもの)が、さらに一つに集まり、

自分の中で「これだ!」と思える絶対的な想いや思考こそが、

あなたの確固たる軸であり、判断基準となります。

例えば、「人生とは何か」という哲学的な問いに対しても、

自分が体験した物事をチャンクアップさせて、本質に近づくことで、

少なくとも”自分なりの答え”が見つかるはずです。

(「人生とは何なのか」自分の中では答えが出ているのですから、

それに沿って生きていく(=自分の軸)のは、決して難しいことではないはずです)

だから、自分の軸を探すにあたって、やるべきことや取り入れる知識は何でも構いません。

自分の興味あるものなら、楽しんで学べるでしょうし、

自分が普段目にしない分野では、より多くの視点や学びがあるかもしれません。

世の中の全ての情報(知識)や経験は、

あなたを成長させ、あなたらしい人生を創出する「種」だということです。

私たちは誰もが、知識を自分の腑に落ちるところまで落とし込み、

自らの思考と意志によって、人生の一つ一つを選択していくことによって、

「自分の人生」を作り上げていくことができると思うのです。

人生とは、本当にシンプルなのだが、

私たちはこれを複雑にしようとして譲らない。

孔子(中国の思想家)

最後に

まずは、今回のまとめです。

  1. 情報弱者の真の意味とは、単に知識や情報が不足していることではなく、自分の軸を持たず、流されるように”他人の人生”を生きてしまう人のことである。
  2. 情弱を脱するためには、あらゆる情報や経験から学び、知識を取り入れ、それを自分の中に落とし込むことが重要である。
  3. 知識や経験をより深く、あるいはより多く落とし込んでいくことで、物事の本質が見え、明確な自分の軸や判断基準が形成される。

ただ、一つ注意していただきたいことがあります。

情報弱者とは、簡単に他人の意見や評価に従い、コロコロと考えを変える

流されやすい(軸がない)人だと言いました。

そして、その自分の軸や判断基準は、結局人それぞれで

本人の主体的な努力によってのみ確立されるのだから、

誰に教わるものでもなく、他ならぬ自分自身の手で獲得していく必要がある。

これは、確かに正しいです。

しかし、誰の意見にも左右されず、誰の意見も聞かないようにしよう!などとは、思わないでください。

確かに、主体性を欠き、流されるままに他人に追従してしまうのは、極めて勿体無いことであるし、やめるべきだとは思います。

ただ、他人の意見や考えを取り入れることは必ずしも悪いことではなく、

”楽だからという理由で、他人の意見を思考停止して受け入れる”ことがダメだと言っているのです。

あくまで、自発的に参考にしたり、他人の意見から何かを学ぼうとして他人の意見を受け入れるのは、何ら悪いことではなく、

むしろ自らの足で人生を歩むために、必要なことでさえあると思います。

特に、すでに自分の確固たる軸を築き、自分の人生を自らの足で歩んでいる

「自立した方々」(成功者や有名人ばかりを指すものではありません)の意見や考えを参考にして、

自分の中に落とし込めるよう努力することは、あなたの軸を作り上げるのに、有効であるはずです。

いずれにしろ、できるだけ多くの考えや視点に触れ、

あなたが今後体験するすべての知識や経験から学ぶ姿勢を持つことで、

あなたは情弱を脱し、自分の人生を生き始めることができるでしょう。

樹木において最も大切なものは何かと問うたら、

それは果実だと誰もが答えるだろう。

しかし、実際には種なのだ。

ニーチェ(ドイツの哲学者)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする